アトランはパノラマ映像を見つめていた。そこにはぐんぐん大きくなってくる銀河が映っていた。
 その島宇宙の光景はよく覚えていた。つい昨日まで自分がここにいたのではと思えるほどに。しかし彼の出発からこの帰還まで、もう400年以上が経過している。
 彼は幾千もの銀河系のなかからその銀河を見出だそうとし、そして見つけるまでに半年、さまよい歩かなければならなかった。
 何百万光年、この間《ソル》は踏破したのだろうか。いや、その数字がどれほどだろうと、希望と不安のこの航海を再現できるわけではない。
 「そもそも、なんで進入して行かないんです?」タンワルゼンは彼に言った。
 「何故かはよく知っているだろう、私と同じくらい」アトランは答えた。「もうとうにわが家に着いていていいころだ、もしあれが無ければな…」
 大事件は4日前に起きた。以来《ソル》は銀河へ向かって通常空間を飛んでいた。が、乗員の全員がその大事件を知っていたわけではないし、ましてアトランほど驚いた者は一人としていなかった。もしかしたらゲジルは例外かも知れないが、事件についてもさることながら、このスフィンクス人というのもまたよく分からないのである。アトランにとっても、未だに彼女はよく分からない。が、協力的だということは分かっている。これさえ無ければアトランは彼女に軽い失望を禁じえなかったろう。…
 「ああ、何だって」彼は言った。
 「だから、ようやく銀河に飛ぶんですね?」タンワルゼンは期待をこめて尋ねた。
 アトランは聞こえないふりをした。
 この状況ではペリー・ローダンに、そして人類に対抗できない。まずは艦内の状況を把握する。ありとあらゆる見地から。彼は物事がこうなったことに失望を感じていただけでなく、奇妙この上ない考えが頭をよぎるのも感じていた。つまり、ある危惧を抱いていた。…彼の銀河への帰還は喜ばしい出来事であるべきであり、人類を抵当に入れるようであってはならない。
 「事態は悪化しかねませんぞ」スキリョンが後ろで話すのが聞こえた。「そもそも私の考えでは…」
 「わかっている」アトランは無愛想に話をさえぎった。クランのウォーターパレスの元諜報局長、スキリョンは「大事件」で喜んでいる者の一人である。
 「このじめついた雰囲気はまったく」ジア・ブランドストロームが言った。「やっと目的地に到達したっていう感激はどこへやったんですか」
 「あんただって、ちっとも浮かれてないだろうが」タンワルゼンは言い返した。
 「問題はですな、我々が銀河を発見したらしいということを知っている点でして」スキリョンが説明した。「引き伸ばしが過ぎます。調査が遅すぎます。長くおあずけを食った期待感ってのは感激気分を使い切ってしまうもんで」
 ずっとそうやってペチャクチャやってろ、アトランは思った。どうせ銀河だの太陽系だのテラナーだの言っても本当は何を言ってるかわかってない連中だ。彼らは《ソル》の子供、宇宙船《ソル》の子供であって、ソルという名の太陽の子供ではない。彼らにとってこれは単なる伝説、そしてほんの少し郷愁を抱かせる言葉。しかしその熱も先日の不幸の前に消え失せた…いい具合に。そして今はスキリョンの言う通りである。ふるさとへの道は長く延び過ぎ、目標到達が感動を呼ぶこともない。
 そこへ、この事件が起きた!
 アトランは自分の帰郷が一瞬にして無意味と化した気がした。少なくとも、半減したと。
 意気消沈の理由には不自由しない。
 と、言う状況なのである。


 もう4日前になる。艦内暦4012年7月28日、ソル・セルの倉庫区画と呼ばれている所で、それは起こった。
 「自分の目で見てもらわないと」警備隊長のセグインはインターコムでそう言った。それだけだった。だが声はかなり興奮しているように聞こえた。アトランはすぐ現場に向かった。
 何かがスポーディに起きたに違いないことは分かった。そして同時にすぐゲジルのことも頭に浮かんだ。スポーディタンクのある倉庫区画へ向かう途中、ゲジルは自分のキャビンにいると分かったが、それで心が晴れるはずもなかった。苦々しく思いだす(しかも、年中ではないが、よく頭に浮かんでしまう)のは、ローダンの肖像画を黙ってじっと見つめているゲジルの姿。
 しかしそんな考えも、倉庫区画に着いて空っぽのタンクの前に立った途端、どこかへ消え失せてしまった。彼は3つのホールを狂ったように通り抜けた。回廊を走る速さは上がる一方。開けられたタンクを残らず見て回った。
 全て空だった。
 どのタンクにもスポーディ1匹見当たらなかった。
 あの大量の共生体すべて、数百万体が消えた。あっというまに。
 アトランの頭にまず浮かんだのは、ゲジル。
 しかしとっさの衝動を抑え、ゲジルの部屋へ急ぐのを止めた。そう、頭に血が昇ったままでは、無駄なのは分かっていたから。ゲジルの不意をつくのは無理。間接証拠では罪を問えないし、無理矢理何かするわけにもいかない。
 アトランは自分の最初の興奮が静まるまで待った。そしてゲジルに取調べ室へ出頭させるよう指示した。以前にも彼女が訊問をされた所である。自身はしかるべき場所で、見通しを得るためと事件の再構築を試みるための時間をとった。
 セグインが《ソル》の幹部になり、クラン人へのスポーディ運搬に参加してもう長い。アトランはスポーディタンクを有する倉庫区画の責任者に任じていた。ゲジルがここをひそかにうろつくことが判ってからは、監視が厳しくなっていた。
 「どうしてこんなことが起きたんだ、セグイン」アトランは尋ねた。
 「率直に言って、まったく分かりません」セグインは言った。ずんぐりした目立つ男で、肥満体には小さすぎる頭をしている。「わしらに落ち度があったとは思えない。独自のシステムも作った。これで人為的なミスは実用上排除、もちろんゲジルも適用される。警報装置も設置した。ここの監視要員の脳波に反応する。うちの誰かがゲジルの呪縛に陥ったとしても、警報装置がそうと察知するはずですがね。」
 「ゲジルは警報装置に干渉出来るかもしれない」アトランは言い返した。
 「だからと言って私が咎めを受ける理由にはなりませんが」セグインは答えた。
 「まぁ、良かろう」アトランは折れた。「タンクはどういう状態だった?」
 「密封ですよ。いつも通り」セグインは答えた。「ですが、4時間おきに標本採取検査を命じてありました。想像できますか、タンクを全部次々に開けて、空っぽだと分かって、我々がいかに驚いたか」
 「で、何か不審なことには、誰も気づかなかったのか」
 セグインはかぶりを振り、こう付け加えた。
 「警報装置も反応なし。説明がつかない、どうやって密封したタンクからスポーディが消え失せたのか」
 アトランはぼんやりとうなずいた。スポーディには固有の生態もあるが、外部からの影響で活性化されることもある。しかし誰がスポーディを――おそらく一種のハーメルンの笛吹き的効果によって――タンクから誘い出せる状態にしたのだろうか。そしてどこにこの大量のスポーディを隠したのか。スポーディはもう残り少なく、全部合わせて大きな雲を形成することはできるものの、アトランがクランドールの預言者として装着するにはその何倍ものサイズが必要だった。
 「《ソル》全体の徹底捜索を」アトランはセグインに命じた。「全区画を念入りに捜してもらいたい。スポーディはどこかに隠されているはずだ。外殻もくまなく捜すことを忘れないように。ゲジルが外に隠したかも知れない」
 アトランは、拡大スポーディ・フィールドの構想を失くしたわけではなかった。セグインに捜索活動の実行指揮を命じると、ソル・セルを離れて中央シリンダの取調べ室に向かった。

 ゲジルの彼への挨拶は、黒い炎の輝きが1つ。それは彼の意識を深く焦がした。
 「いたずらはやめないか」アトランはゲジルを叱りつけた。しかしこんな小言は必要なかった。もうとうに分かっていたのだ。彼女はこのようなやり方で彼を変に興奮させないようにしている。これはまぁ仕方がない。
 ゲジルは寛いで、体にフィットするようになっている快適なコンチュア・アームチェアに身を沈めると、背もたれをゆっくりと上下させた。それを見てアトランは、ぶらんこに乗った少女のようだと思った。――無邪気で他愛なく純真に見える。あの計り知れなく深い褐色の瞳さえ無ければ。
 黒い炎が鎮まってやっとアトランは寛げるようになった。ゲジルはずっと背もたれで遊んでいた。彼をまるごと見透かすような瞳を向けながら。そしてスフィンクス風の謎めいた笑みが口もとに漂った。
 「あれがいないんだ」アトランはそう言うとゲジルの目の前に立った。
 ゲジルは視線を計り知れない彼方から引き戻し、不安めいた何かを瞳に宿らせた。
 「スポーディのことね」ゲジルは言うと、うなずいた。「知ってるわ。ああなるべきだったのよ、…」
 アトランは話を聞かなかった。話題をそらせまいとした。
 「どこへやったんだ?」
 「わたしが?スポーディを?」ゲジルは本当に驚いたようだった。――ぶらんこに乗った少女に、あれやこれやの「なぜ」や「どうして」を尋ねた時のように。
 「そうだ。君が、スポーディを、だ」アトランは言った。
 ゲジルは椅子を揺らすのを止め、ちょっと体をゆすって背もたれに身を預けた。アトランは半ば、何らかの超常現象の出現を期待したのだが、そのようなものは起きなかった。
 「アトラン、私は関係ない」彼女は言った。「そもそも私がどうやって…女の身で、たったひとりで?それに、あれで私が何をするっていうの?」
 「それについては私は君に言えることがある」アトランはゲジルに身をかがめたが、またもや彼女の圧力に屈するかのように後退りした。彼は自己矛盾に陥り、結局唐突に身を反らした。そうするとずいぶん気持ちが楽になった。彼は続けた。
 「これが最初というわけではないぞ、君があのスポーディに深く関わるのは。ここ2か月というもの、君はちょっとの暇を見つけてはいつもいつも倉庫へ行って、スポーディタンクにへばりついて長いこと過ごしていたんではなかったかな?」
 「ええ、そうだけど…でも私は手を触れたりはしていないし」
 「ということは、君にはその必要がなかった」
 「それに、運び出したりしてもいません」
 「それを、はいそうですかと信じられると?君は前からスポーディの何かに興味津々だった。スポーディの抜け殻と一緒にいた君を、他にどう解釈する?それに、君がスポーディのためだけにこの《ソル》に乗り込んだことにも、疑いの余地はない。君のホモニード人のパラブス基地での奇妙な振る舞いも、スポーディとの直接の関係がなきにしもあらずというわけだ。そこで思いあたるのは、パラブスでの輝くプラズマ雲の件で、君が『何かの始まり』だと言ったことだ。つまり君には分かっていたんだな、ホモニード人が『ヴィールス・インペリウムの部分的再構築』とかいうものに従事していた、そのことの必要性も。パラブスのプラズマ雲とスポーディは、起源は一緒で、同じものの別の現われ方なんだ。君はこの考えを否定するか?」
 「まさか、どうして私が」ゲジルは不思議そうに言った。「このことについてはもはや議論の余地すらない、私たちはとうに分かっていて、あなたも関連を理解している、そう思ってた」
 「もしかしたら、私は君を理解できるかもしれない、もし君がこっそり、なぜ積み荷をそっくり盗んだか、教えてくれたら」口走ったアトランは頭にきていた。「二、三千ほど近くにあるだけでは、君には物足りないんだ、そう、君は全部必要だったんだ。君は、あれを、どこへやったんだ?」
 ゲジルは沈みこんで、その視線はぼんやりと宙をさまよった。そして自分に言い聞かせるように言った。
 「私がしてたら、よかったのに」彼女の視線はまたアトランを見据えた。その目と向き合ったとき、アトランは確信した。ゲジルは重要な手がかりを彼に与えようとしていると。彼女は強い口調でつけ加えた。「可能なら、私は《ソル》からスポーディをただちに除去したわ。もう手遅れ、だけど」
 「それは、どういうことだ?」アトランは尋ねた。
 「言った通りよ」ゲジルは答えた。「私はスポーディの消失とは関係ありません。…それがとても残念」
 それ以上の言葉はゲジルからはなく、アトランは結局訊問を中断した。しかしながら、負けを認めたわけではなかった。

(つづく)