クルト・マール

当番物理学者


(www.perry-rhodan.netより)
初出ヘフト 5Atomalarm
非常警報
最終ヘフト 1661Tabuplanet Shaft
禁断の惑星シャフト
ヘフト担当数 252 .
初出ポケットブック 2Der Große Denker von Gol
ゴルの偉大な哲学者
最終ポケットブック 372Der Gremium der Vier
四人の委員会
ポケットブック担当数 42.

クラウス・マーン(Klaus Mahn)ことクルト・マールはペリー・ローダン・チームの「物理学者」だった。1934年フランクフルト生まれ、ギムナジウム卒業試験後すぐには建築工学の課程に進学、しかし1956年夏学期に物理学に転籍。物理学の学位を鞄に入れたクルト・マールは合衆国へ移住、プラット&ホイットニー社(Pratt & Whitney)に就職した。氏の文筆家としての経歴は1950年代終わり、ラブロマンスと西部劇から始まるが、あまり成功しなかった。これが氏をSFに転向させた。1960年、氏の小説「砂のような時間」(Zeit wie Sand)がヘフトシリーズ「テラ(Terra)」に登場。1961年にはペリー・ローダン「非常警報」が出版された。

氏の物理学の知識はシリーズに影響を与えた。氏の担当巻は、正確な工学的知見の延長線上にあり、秀逸なものに仕上がっている。氏は1972年まで合衆国に住んでいたが、この年の9月に家族とともにドイツに帰国した。同じ年、ペリー・ローダンの姉妹シリーズ、アトランの執筆にも参加。以後、クルト・マールはペリー・ローダンのヘフトシリーズ、ポケットブックシリーズ、およびアトランのそれらの刊行に、ほぼ専属となった。1977年に再度アメリカに帰っていたクルト・マールは、1985年からエルンスト・ヴルチェクとともにペリー・ローダン草案(Expose's)を書くようになった。氏は15年間ペリー・ローダン・コンピュータ(PERRY RHODAN-Computer)を執筆した。

クルト・マールは1993年、フロリダで事故により亡くなった。ジョニー・ブルック(Johnny Bruck)は1700記念巻「メビウス(Möbius)」の表紙絵を彼に捧げた。

原文

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