(www.perry-rhodan.netより) |
初出ヘフト | 306 | Schlachtschiff OMASO 戦艦《オマゾ》絶体絶命 |
最新ヘフト | 319 | Phantomsender 幽霊送信機 |
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ヘフト担当数 | 3 | . | |
初出ポケットブック | 387 | Hölle hoch vier 地獄ベスト4 |
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最新ポケットブック | 406 | Das Syndikat der Mächtigen 権力者のシンジケート |
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ポケットブック担当数 | 3 | . | |
「どう転んでもね、コンラート、今後25年かそこら(2000年までかもしれないが)ペリー・ローダン・シリーズから逃げられるわけないでしょ?どうです、とりあえずポケットブック(Taschenbuch)でもひとつ…?」 このくだりは、ホルスト・ホフマン(Horst Hoffmann)が1986年に工房集(Werkstattband)の中で書いたもので、そこにはコンラート・シェーフ(Konrad Schaef)も「アドベンチャー・ペリー・ローダン(Abenteuer PERRY RHODAN」を書いていた。1995年6月、つまり9年後、ハイネ(Heyne)から氏の最初のペリー・ローダン・ポケットブック「地獄ベスト4(Hölle hoch vier)」が出版された。 コンラート・シェーフ、ペリー・ローダン・シリーズの読者にはコンラッド・シェパードのペンネームで有名な氏は、1937年生まれである。 2度目の教養コース履修で機械設計技術者として大学卒業後、米国の軍関連企業の生産計画部長を務めた。 14歳のとき偶然にもジャック・ウィリアムスン(Jack Williamson)の「ウィング4(Wing 4)」とジョン・W・キャンベル(John W. Campbell)の「驚異の惑星(Der unglaubliche Planet)」を手に入れ、SFの魅力にとりつかれた。1960年に最初のSF小説をユートピア(UTOPIA)シリーズの1冊としてロイ・チェスター(Roy Chester)のペンネームで発表。このユートピアの長編は第120巻「恐ろしい私生児(Die unheimlichen Kegel)」。 シェーフは長い間ファンダム活動に熱心で、ファンジン「ミュータント(MUTANT)」の共同創刊者にもなっている。ハンス・クナイフェル(Hans Kneifel)と知り合い、メーヴィヒ(Moewig)のシリーズ、テラ(TERRA)とテラ=ノヴァ(TERRA-NOVA)にいくつか小説を書くようにもなった。クナイフェルはその後ペリー・ローダン・チームにも誘い、1967年に306巻、318巻、319巻を執筆した。 ペリー・ローダン・チームを退いた後、1970年から1972年の間、ケルター出版(Kelter-Verlag)で軽い未来感覚のシリーズ「チェックパート2000(CHECKPART 2000)」に登場、8作品を著した。同じ頃「ブルーライト(BLAULICHT)」でもいくつか執筆している。その他、クリント・モーガン(Clint Morgan)のペンネームでいくつか西部劇(Western Roman)も書いている。ウィリー・フォルツ(Willi Voltz)が1974年、氏をようやくSFに呼び戻し、アトランシリーズの執筆チームに入って3巻担当した。1980年からは模型製作誌やその関連書籍に専門記事を書くようになる。その他、当時抱えていたテーマに関する英語の技術ハンドブックの翻訳もしている。 1996年4月、コンラート・シェーフの2作目のペリー・ローダン・ポケットブック「テラニアの決闘(Duell in Terrania)」が刊行。ハンザ主任(Hanse-Chef)のホーマー・G・アダムス(Homer G. Adams)が再びこの巻の主人公である。宇宙ハンザ同盟内の陰謀と秘密の力が背景を形成する。「権力者のシンジケート(Das Syndikat der Mächtgen)」が3作目のポケットブックで、1997年5月に刊行された。 氏の最新作はペリー・ローダン・スペース・スリラー(PERRY RHODAN-Space Thriller)の「権力の防壁(Mauern der Macht)」である。1995年、ヘフトシリーズへの再登場は考えていますかというインタビューの質問にシェーフは答えている「その際はすぐにでも(Ich wäre sofort dabei!)」。 ペリー・ローダン・シリーズとアトラン・シリーズ3巻ずつ書いた作家には何が望まれるか。何にせよ、ポケットブック3巻「だけ」ではないはず。 |