by 田舎都市
ちょうど、ロンドンとベルリンとハイデルベルグに用事があった、その週末にこのワールドコンがあったので、カールスルーエ〜ハイデルベルグ間の電車賃だけ自腹という、とってもラッキーな参加でした(用事をやや無理に作ったかどうかに関して、完全な否定はあえてしませんが(^^))。日本からは…東京から少なくとも5人、大阪からも5人くらいでしたっけ。結構な人数が参加しています。
ベルリン滞在中に、駅で数冊買った中の最新巻は1567巻ロバート・フェルドホフ「選ばれし者(Der Auserwählten)」。リング人のイルカ船が表紙で、ちょっとかわいい?
ベルリンからフランクフルトまで飛行機。空港の駅の切符売り場で、行き先を告げて買った切符には、なんとマンハイムまでバス、で鉄道に乗り換えてカールスルーエ、と。おかげさまでアウトバーン初体験です。時速百何キロだかで疾駆する大型バス、その運転席だけは独立に大きく揺れてるんです。脇をさらに200キロくらいで抜いてくぼろっちい車。
泊まったのは「エデン」というホテル。日本組が数人(IさんとHさんと、Kさん? もうよく覚えてない…)晩にホテルを訪ねてきてくれて、…確か軽食をご一緒したでしたっけ?
会場のカールスルーエ中央会議場が日本組の宿「バルバロッサ」への道筋だったので、散歩がてら下見に行きました。周りにはファンらしき若者らが寝袋でごろごろしてて、このあたりは国が変わっても変わらない光景でありました。
初日のプログラムは以下の通り。オープニングで、やはり公用語がドイツ語だったと、がっかり。「ワールドコン」だったので、もしや英語も、と期待してたのですが…。近所に座った人がオープニング終了後に英語で少し解説してくれたので、それを日本組の方々に、ちょっとだけ通訳めいたことをしたような。
ローダン30周年を祝うワールドコンだったので、記念刊行物がいくつかありました。レキシコン第3版もこのときですね。会場前で売ってたのを買った覚えがあります。あのかさばる5冊組レキシコンを、随分大量に抱えて歩いてました。ディーラーズルームは、当時の私にとっては宝の山でした…。古本の、よさそうな巻を選んで買いこみました。2000年の今日、いまだに、積んであります。(笑)
お昼すぎには、企画ほっぽって、街に繰り出してビールで乾杯したような。どうせ企画は全部ドイツ語でわけわかんないし…(涙)。
懇親会では、一角に日本コーナーを作りまして、現地の方を多数お招きして、片言英語や絵でのコミュニケーションで盛り上がったのであります。アルコールさえあれば、まあ何か通じるもんです。
抽選会というのは、全員の入場券に番号がふってありまして、それで賞品が出るのです。数人の入場券を預かって、抽選会行きました。次々読み上げられる4桁のドイツ語数字を一所懸命聞き取りまして、案の定全部外れでした。確かひとつ惜しいのがあって、下2桁が逆だったという。(わかってくれる人もいるだろー)
11:00 | 大ホール | ペリー・ローダン・ワールドコン1991 オープニング | |
11:30 | 大ホール | ここより永遠に 草案工房 | |
12:30 | 大ホール | トランスフォーム砲を超えられるか 挿絵画家とRZ編集者とのパネル | |
12:30 | . | ブルー人ルーム | ファンになるのは難しくない ペリー・ローダン・クラブをいかに設立し、その後どうなったか |
13:00 | . | アトランルーム | ペリー・ローダン・クイズ |
14:30 | 大ホール | マルチビジョン・ショー G.Franz「ブラックホール」 | |
15:00 | . | アトランルーム | MethusalemからBenjaminへ ローダン作家三世代がローダンを語る |
16:00 | . | アトランルーム | 重積前線での決断 ペリー・ローダン・ゲームのデモに参加 |
16:00 | 大ホール | インターコスモは喋れますか? ローダン作家チームと訳者 | |
17:00 | . | ブルー人ルーム | もっと美しく 挿絵の美学 |
18:00 | 大ホール | 大宇宙の真実 天文学者による講義 | |
20:00 | - | 懇親会 大ワールドコン・パーティと抽選会 |
2日目のプログラムは、以下の通り。私らにとってこの日のメインはなんと言っても「ロータンシリーズ」(タに濁点がない)日本紹介のコマです。どうやらしっかり1時間も枠がとってあるとは聞いてなかったみたい。そう言えば、日独の通訳の女性がつきましたよね。懇親会で知り合った、ドイツ語ぺらぺらの日本人もいましたっけ。企画の最後に、ファン同士の結婚があって1セット余ったという、日本のシリーズを聴衆に無料で配ったんですよね。で、終わったあと、日本組の方々は別室に呼ばれて、通訳つきで著者と歓談してんでしたよね?私は遠慮して行かなかったけど。で、…催しものとしては、何をしたんでしたっけ?(苦笑)。ぜんぜん覚えてないので、この段落は近いうちに書き換えるかもしれません。
ブラントさんと奥さんが見えたので、ブラント著の日本版を何冊か選んで進呈しました。大会冊子(Con Buch)にサインしてもらいました。ブラントさんが亡くなったのは大会の3ヶ月後、11月8日でした。
この日の夕方、私はハイデルベルグに移動。他の皆さんはベルリンへと向かいました。
10:00 | 大ホール | アイディアはどこから来るのか 作家チーム質疑応答 | |
11:30 | 大ホール | これは本物? 宇宙からのSOS上映、いかにして今日ローダン映画を見るか | |
12:00 | . | ブルー人ルーム | スターダストからオーディンまで 挿絵の歴史 |
12:30 | . | アトランルーム | 「ロータンシリーズ」 日本のペリー・ローダン・クラブ「ミレニアム・ソル」 |
13:30 | . | アトランルーム | ネズミ=ビーバー、カルタン人、その他銀河系の毛皮族 ローダンシリーズ出演者はどう決まるか |
14:30 | 全会場 | 名前とはむなしいもの 全著者サイン会 | |
15:30 | 大ホール | そして勝者は ! ペリー・ローダン・クイズ決勝戦 | |
16:30 | 大ホール | ワールドコン1991グランドフィナーレ |
2000.7.29 本文
2000.7.30 エキスポファクトリー→草案工房
他にもう何か思い出すとも思えないが…