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ペリー・ローダン・ワールドコン2000 覚え書き

by 田舎都市

ワールドコン2000のプログラム

1999年12月16日(木) 出発・到着

ペリー・ローダン2000巻刊行を祝う今回のワールドコンには、日本から9人ほど、日本人は10人ほどが参加していました。うち、私と旅程がほぼ同じだったのは大阪から4人と、東京から一緒の1人(通称マガン@rlmdi首領)の計6人御一行様。関係ないけど、あとで大阪組がなんと「たびのしおり」(持っていくおこづかいの額等(^^;))を作ってたと知って、びっくり〜。(^^)

航空運賃も安くなったもので、欧州往復をルフトハンザのWWWページで申し込んで88000円(35日前購入)、空港税等込みで92000円くらい。ホテルも安くて、会場に隣接してるヒルトンホテルをやはりWWWページで予約して、2名ずつシェアしたので一人7000円/泊、4泊で3万円いかないくらい、でした。

あとは、飛行機を超音速にしてほしいが(^^;)こればかりは我慢の約12時間。

大阪組とはフランクフルト空港のどっかで落ち合おう、というアバウトなプランで、大阪からの便が「到着」に表示されてなくて不安になって、ヒルトンホテルに電話入れて大阪組着いたりしてないかとか、ついでに予約確認とかチェック一応入れたりして、でもなぜか無事合流。案ずるよりなんとやらです。

2000巻の正式刊行日は帰国予定翌日の火曜日、12月21日なので、今回の旅程では当初、少なくとも情報をきちんと漁っていなかった私は半分あきらめてたのですが、到着したフランクフルト空港であっけなく入手しました。

フランクフルト空港からマインツはほんのご近所。電車で数駅、20分くらいでしたっけ。

この晩は、みんなしてマインツの街を、寒いのに散歩しまくって、ビアハウスみたいなとこでドイツっぽいものを食べた…ような気がします。

12月17日(金) 前夜祭

ワールドコンは午後5時スタート、午後4時開場なので、それまでフランクフルトの街まで遊びに行って、お買い物。街はマインツもフランクフルトも、クリスマスマーケットが立ってて華やかでありました。屋台がいっぱい出ていて、あちこちで焼きたてソーセージ片手にアップルワイン(熱燗の林檎ワイン)が飲める。お店ではバーゲンもしてる。

ワールドコン会場は、ラインゴルトホールという大きな会議場で、大ホールと、大ホール前の広い場所と、それとは別に小さめの会議室がいくつかあって、ワールドコンではそれぞれにローダンっぽい名前がつけられてました。大ホール前広場は、出入り自由のディーラーズルームと、出入りチェックしてる本会場とに分かれてました。一行はまずディーラーズルーム内の知り合いのお店(?)に拠点を貸して頂いて、日本から持ってきた売り物をその一角に広げて、各自は適当にお店を回ったりし始めた…です。確か。

入場者はクラス分けされてて、バッジにEと書いてある人は偉い人(著者、アッカーマン氏など名誉招待客)、普通の人はB。運営協力者(スタッフ)はSだったかな。ゲストではないんだけど無料招待扱いだった私らは、どのクラスかな〜と思ってたんですが、特殊性ゆえ却ってすったもんだあって、まあでもなんとか中へ。ちなみに普通のBでした。

前夜祭のこの日の出し物は全部一階の小会議室で、何のアナウンスもなく静かに始まりました。入り口は二階にあったもので、気づいた時にはもう。映像を見せる企画もあったようですが、何を映してるのか途中からではわからず。グッキーの絵本の著者および絵描きと語る、みたいな企画もあったんですが、ドイツ語のヒアリングは丸っきりぺけなので、これも雰囲気だけちょっと見ただけ。というわけで、この日の話は何もできませ〜ん。

テレビやラジオのインタビューも受けました。わざわざ日本から来たの。なんで(笑い)。潔く受けたのは、マガンと、私と、あとメキシコから来た日本人(通称てーとく)。

一応招待客なため、ボランティアのガイドが一人ついてくれました。アンドレアス・オルトバイン君、フライベルク自由大学(旧東独の方らしい)で環境工学を専攻中、日本語も勉強中。ヒルトンホテルでの晩ご飯に誘いまして、明日はよろしくね、というつもり。

12月18日(土) ワールドコン本番

新聞にワールドコンが載ってたので、2紙買いました。「日本からも参加」との言及はしてくれたんですが、写真は、なし(*^^*)

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ペリー・ローダン、マインツを救う
(Mainzer Rhein Zeitung紙1999年12月18日一面、カラー写真つき)

【マインツ】3日間の大会を催しているのはペリー・ローダンシリーズという週刊小説(Heftroman)の発行社で、世界最大発行部数と世界最長命を誇るこのサイエンスフィクションシリーズの第2000巻を祝うもの。3000人のファンにとって待望の「世界大会(Weltcon)2000」である。日曜日まで50の出展者が本、ポスター、ステッカー、CDROMといったものを並べている。(→3面「闇の力が地球を脅かす」)

(写真:Stefan F.Saeumer)おや、これはどう動くんだ?マインツ世界大会にてペリー・ローダン・ファンが驚異の宇宙船模型を鑑定中。

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闇の力が地球を脅かす
ペリー・ローダン・ファンは今日、マインツ世界大会で興奮の2000巻を待つ
伝説の英雄の小説

(Mainzer Rhein Zeitung紙1999年12月18日三面、写真2つ)

宇宙の英雄が祝福を受ける:2000巻刊行。ヘフト小説によるドイツのサイエンスフィクションシリーズ「ペリー・ローダン」。昨日から約3000人のファンによる「世界大会」。マインツのラインゴールドホール(Rheingoldhalle)にて。

【マインツ】それをファンは待ち望んでいた。この会期中に2000巻が登場する。ヘフトシリーズの小説「ペリー・ローダン」。ラインゴールドホールの「世界大会」に集まった人は、60マルクの入場料を払って「ミレニアム」ヘフトの特別編集版「太陽系政庁(Die Solaren Residenz)」を受け取る。ここからまた新しい物語サイクルが開始する。

そしてそこにはこうある「闇の力が人類を脅かし、皇帝は銀河掌握を図る」架空の未来4890年は深刻な時期だが、むろんペリー・ローダン、そして彼の信頼する仲間が、過去幾度もあった通りに、すべてを丸く治め、銀河の文明と同時に全宇宙を救うのである。

1961年9月8日、シリーズ最初の「スターダスト計画(Unternehmen STARDUST)」という題の巻が35000部の試験刊行で登場。この週刊小説が文字通りのロングランに発展、全刊行がいまや10億部にまで達するとは誰も予想できなかった。

人類、銀河文明、表題の英雄およびその同志の架空の物語の時空は、約2900年の長きにわたっている。宇宙の超越的存在、名前を<それ(ES)>といい、ローダンと人類の導師であるこの存在によって、著者らはシリーズの英雄たちに、ひいてはこのプロジェクトに「相対的な」不死を授けた。「アイディアと物語のストックはまだ尽きることはない」と1972年から関わっているローダン著者H.G.フランシス(63歳)は語る。

明日まで開かれている「世界大会」には、日本、ブラジル、米国からもたくさんのファンが、著者とシリーズ制作者に会いにやってきている。展示はシリーズの盛り上がりを再び呼び起こす。ファンはまず歓喜の眼でブルー人、ラール人といった銀河を隷属させることのみを望む敵対文明と人類との戦いを見つめる。

マインツではローダンの友との出会いも待っている。マウスビーバーのグッキー、ハルト人イホ・トロト、アルコン人アトラン。「自然法則と真空」や光速に関する講演もあり、フィクションから実際の科学への架け橋となる。

2日間の会期の最高潮は本日土曜7時、2000巻の発表である。プログラムはインターネット www.Perry-Rhodan.net にて。

(写真:dpa)エックハルト・シュヴェットマン(Eckhard Schwettmann)、パベル・メーヴィヒ出版の長、2000巻を手に。

(写真:Stefan F.Saeumer)ヘフト、本、新メディア。ペリー・ローダン・ファンは限りない刊行物の山の前であれこれ迷う。

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オープニングまでは、あちこちで前夜祭の続きとばかりにトーク企画が繰り広げられていて、一応あちこち見ようと努力はしてたんです、私は。たぶん一番そっち方面に注力した日本人ではなかろうか。でも。(苦笑)

オープニングは午後2時。映像企画は見てるだけで楽しめるので気が楽です。あとは、わ〜っと著者や関係者が勢ぞろいして、挨拶。これは何言ってんだかわからない。

「国際」という、本来なら池田香代子さんやハヤカワの編集者がいてほしい大ホールでのトーク企画は午後4時から。だめもととばかり、私が飛行機の中で英訳した、ハヤカワ編集部からと池田香代子さんからのお祝いメッセージを、オルトバイン君に唐突に託しまして、飛び入りを試みたところ、司会の人(*)に読んでもらえました。ノートを破いて書いたんで、いちおう一旦書いたものを清書したんですが、でもすいません、読みにくかったでしょう…。

「国際ファン」という、日本から出向いた人が関与する企画は小会議室の一室にて、午後5時から。トーク企画で、日本事情の紹介役は、マガンとオルトバイン君。綺麗な対訳つき説明用パンフレットを用意して持っていったので、大筋は誤解がないんじゃないかな〜と思われます。オルトバイン君が随分と頑張って喋ってくれて、助かりました〜。マガンも予想以上に頑張って喋ってましたね〜。(どういう予想をしていたんだ(^^;))

2000巻配布は午後7時。映像企画は見てるだけで楽しめるので以下同文(^^;)。渡された2000巻は黒い表紙に、太陽系政庁のマーク。一枚めくると、普段の表紙絵。これが日本に入るのはたった数冊…これは貴重な〜と、このときは、思ったのです。

企画が終わって午後10時。日本から持ってきた日本酒と日本のつまみを会場の一角のテーブル借りて広げて、宴会。フランス語の訳者も交じってくれました。ドイツ語を素直に変換できない、フランス語では避ける言いまわしがいくつかあって、などという話をしてたのだけ、覚えてます。こっちからは、日本ではUSOって嘘って意味だけど、まあ気にしてないよ〜とか。(^^)

オールナイトできると聞いてて、そのつもりだったのに、午後11時30分頃、ガードマンに追い出されて解散。日本酒とつまみの残りはドイツの方々に差し上げました。お酒はともかく、つまみの方はどうだったんだろ〜。

12月19日(日) 祭りのあと

エンディングは午後2時の予定が、サイン会が延びて午後3時。

また2020年の3000巻でね〜と言って、お世話になった方とお別れ。

最後の夜は、小洒落たワインハウスで、乾杯。おいしかったです、ワインも、料理も。

12月20日-21日(月-火) 帰国

最後の最後に、ヒルトンホテルのエレベータに閉じ込められて震動攻撃をうけ…酔いそうになったらしい。(^^;)

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2000.7.18 本文
2000.7.28 プログラム
2000.7.29 プログラム詳細化
2000.7.29 (*)Klaus N. Frickと思ったですが、プログラムによればUwe Antonだ〜
2000.7.30 新聞記事を追加
2000.11.3 プログラム原文ページ行方不明につきリンク削除、ちょこっと模様替え(^o^)
他に何か思い出したら、書き足すかも。

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