W (人物編)

Geoffry Abel Waringer
ジオフリー・アベル・ワリンジャー
 ハイパー物理学者、太陽系帝国(Solaren Imperium)首席学術会員、最高機密新技術開発責任者、2403年生まれ。大柄で痩せ型、人づきあいに関しては常にどこか不器用で間の悪い印象を与える。2430年12月5日、スーザン・ベティ・ローダン(Suzan Betty Rhodan)と結婚。当時ワリンジャーはまだ資金に乏しく、専門家の間でも十分に知られていたわけではなかった。その思考過程の独創性もまだ誤解されていた。ワリンジャーの才能は、まず妻とアルノ・カルプ教授(Prof. Dr. Arno Kalup)によって見出され、ハイパー物理学の領域における理解力という点で、ひとしきり拒絶にあった後、世間に認められ支持されるようになった。スーザン・ローダンは6つの宇宙規模の大銀行のオーナーであり、ワリンジャーの研究活動を、自らの的確な事業収益の計上で大々的に支援し、実験施設、研究センター(研究スタッフ)等の資金援助を行なった。更に、モリー・ローダン=アブロ(Mory Rhodan-Abro)は、プロフォス総統の権限で惑星ラスト・ホープ(Last Hope)を彼の秘密開発プロジェクトのために提供した。そこには昔、イラチオ・ホンドロ総統(Iratio Hondro)の基地があった。この惑星の北極の山岳地帯の地下に、当時「座龍(Sitzender Drache)」が設置されていたのである。ワリンジャーはこの理想の研究の聖地で、型破りな方法を熟成させていった。カルプ教授の死後、ワリンジャーはその学術研究チームの指揮を引き継いだ。テラの研究者と力をあわせ、彼はカルプ式補整コンバータ(Kalupschen Kompensations Konverter)を改良、この機械のサイズを約半分に、性能を倍にした(ワリンジャー・コンバータ(Waring-Konverter))。その他の新開発、つまりワリンジャー・チームが発明したり、入手した構造基盤の調査に基づいて、テラの必要に応じて実用段階まで開発が行なわれたものとしては、ディメトランス駆動(Dimetranstriebwerk)、シュバルツシルト反応炉(Schwarzschild-Reaktor)、アンチテンポラル干満フィールド(Antitemporale Gezeitenfeld)(ATGフィールド)などがある。2436年、ワリンジャーはローダンから、死亡したミュータント、ローリー・マルテン(Laury Marten)の細胞活性装置を受け取った。彼の老化プロセスは33歳で停止した。
 NGZ 426年、ワリンジャーはハンザ発言者(Hanse-Sprecher)兼宇宙ハンザ同盟(Kosmischen Hanse)学術チーフとなった。
 およそ20年後、彼はベクトル性グリゴロフ(vektorierbaren Grigoroff)を用いてタルカン宇宙(Universum Tarkan)への遠征を可能にした。ほぼ700年後、ペリー・ローダンがタルカン艦隊(Tarkan Verband)とともに帰還した時、ローダンはサトラングの陰者(Eremit von Satrang)と名のる、瀕死の友すなわちワリンジャーと出会った。NGZ 1143年に、彼は細胞活性装置を奪われてしまったのである。

Balton Wyt
バルトン・ウィト
 3078年1月16日テラ生まれ、身長1.92mで筋骨たくましく、肩までの長さの赤褐色の髪。性格は天分豊かななまけもの、抜け目ない無精ものである。3117年、彼は難破にあい、自由商人の宇宙船《ドルダ》(DOLDA)のただ一人の生き残りとして、惑星テクマ(Techma)で生きのびなければならなくなった。その星の《都市》(STADT)と呼ばれる技術施設はウィトを迎えいれ、彼の健康を維持し、繰り返し深層睡眠状態に置いた。その間ウィトにはテレキネス能力の目覚しい発達があった。3438年、彼はようやく再び銀河系とコンタクトできた。3440年、彼はミュータント部隊のメンバーとなった。3460年、彼は第二次遺伝子危機で死んだタコ・カクタの細胞活性装置を譲り受けた。3587年、彼は〈それ〉に融合した。

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