1.その昔 …

 クリュンヴァント=オソ=メグは自分の行動体に目をやった。いやなことに関わったものだ。何もかもが気に食わなかった。(“死体フェチ”と、かつて水利権委員会で言ったことがある。)しかも、彼らが手に入れようと努めていた答えが実はいかに不十分であったかもはっきりした。 クリュンヴァント=オソ=メグ(彼の3部分からなる名前の最初の部分は個人名であり、2番目は古の部族への表現し難い所属条件と関係があり、3番目はその職業ないしは地位を示している。)は、容器の蓋が閉じ、行動体が消え失せるときに悪寒が走るのを覚えた。 7万体はあるであろう他の行動体同様、クリュンヴァント=オソ=メグのアンドロイドもまた、隠れ家として選ばれた惑星のひとつに移送されることだろう。そして行動体の持ち主もまもなく後を追うことになる。 「なにを考えているの、オソ?」ヤルダル=ナガ=ルドが尋ねた。彼女は彼のそばで自分の行動体に少々立体画像をつけ加えていた。
 いったい、何のために?オソは不思議に思った。
 突然、疲労が再び彼を襲った。この疲労はオソと彼の仲間の引退の引き金となった疲労で、ほとんど消耗というに等しく、しばしば不随状態になるほど激しいものだった。
 “表面張力”のせいだ!ルルドヴァン=ゲロ=ラツはいつもそう言っていた。
 「表面張力理論のことをね。」唐突にオソが答えた。ナガは興味と驚きを半々に感じながら、彼を脇から見つめた。
 「信じているの?」
 「わからない。が、少なくともひとつの説明ではある。とにかく、コスモクラートたちは我々に隠れ家をあてがった。これは彼らも撤退以外に道はないと思っているからかもしれない、ということだよ。」
 「もしかしたら彼らは、私たちが今までに成し遂げてきたような仕事なら、監視騎士団のメンバーがもっとうまく片付けると考えているのかもしれないわ。」
 彼は微笑んだ。
 「コスモクラートの思考過程の考察とはまた君にしてはえらく大胆な。」彼は言った。「我々はきっと、彼らの考えることはひとつとして理解し得ないのではないかな。」
 二人は、積載設備のクレーンのアームが行動体を入れた容器を大宇宙船の積載ハッチの方へと方向転換させるのを見つめていた。このステーションはシャナドの共同施設のうちのほんの小さな区画であり、シャナド自身も五惑星施設のうちのひとつの惑星にすぎない。
 クリュンヴァント=オソ=メグは、自分の目は辺りをさまようように見回すにまかせて、ここがまもなく全く孤立し、見捨てられることを想像してみた。
 「今は何を考えているの?」すぐにナガが尋ねてきた。
 「起こりうること、すべてさ。」とオソはかわした。
 彼の視線は雲の泉のひとつにそそがれていた。水利権の専門家として、彼は泉の利用と分担金について決定を下してきたが、それもまもなく、だれも必要としなくなる。もっとも、泉がそれほど早く干上がってしまうわけではない。五惑星施設はその建設者がある日考えを変えてここへ帰ってこようとするときのために、完全に保存されていなければならないのだった。
 「本当に私たちは安定なのだろうか。」彼はナガの方を向いた。
 「私たちには距離が必要なのよ。私たち自身と、私たちの時間を振り返ることができるように。」彼女は答えた。「身体的な、そして時間的な距離が。」
 幾度となく彼が聞いた言葉が、くだらないフレーズを成して唐突に現れた。手に入れようとしている距離を体験したら、彼女は何を思うのだろうか。
 「ときどき」彼は思い悩んで、暗い声で言った。「我々は誤った発展をしたのだと思うことがあるよ。我々はコスモクラートのために長い間働いたのだから、そのあとには何か別のものがこなくてはいけない。こんな隠れ家への撤退や、こんな……逃亡じゃなく!」
 「でも、コスモクラートたちは私たちの計画に好意的だわ。」
 「それは彼らが、私たちには他にとるべき道がないのを知っているからさ。もし我々が撤退に同意しなかったら、没落はとどまるところを知らなかっただろう。我々の発展は停滞状態に達していた。我々には、どんな場所へ移ろうとも打ち勝つことのできない限界が存在していたんだ。コスモクラートたちはそのことを知っているんだよ。だから私たちを行かせたんだ。彼らは我々に真実を語らない。もしかすると彼らは私たちに暗示をかけて、撤退への願望を持たせたのかもしれない。」
 彼は憤慨したことを表す鋭い音を吐き出した。
 「ありそうなことさ。」ともう一言、反抗的に。
 「種族が老いて、疲労した例ならたくさんあるわ。」ナガが言った。「私たちは明るく生きるべきよ。自分の運命に降伏することはないわ。むしろ運命を選ぶことよ。」
 「ひとつの可能性はさらなる成長的拡大発展だな。種族が老いて疲労するかわりに進化の段階を一つはい上がった例は数多くある。」
 「私たちがそうならないと、誰があなたに言ったのかしら?」彼女はむきになっていた。「私たちは自分の新しい地歩をかならず勝ちとるわ。」
 「自分自身の体を放棄して、かね?」
 「ある進化段階からは、体というものは、あなたは重きをおくでしょうけど、もはや支配的役割を担うことはないわ。」彼女は言った。
 彼は自分の体をピシャリとたたいた。
 「私は体を捨てたくはないね。」彼はそう言って、宇宙船の方へ漂っていく容器を指さした。「あんなもののためには。」
 「私たちのめざす目的を考えたら、行動体は全ての点において優れているのよ、いまだに私たちが苦しんでいるこの体よりも。」
 彼は何も言わなかった。決定はとうに下っていたし、彼にも責任はあった。彼がそのときしたことは、単なる口げんかにすぎなかったのだから。
 「もう何に合体するか決めたんでしょ、オソ?」ヤルダル=ナガ=ルドは尋ねた。
 「いいや。」彼は言った。
 彼女はすぐには言葉が出ないほど驚いた。
 「いいや、ですって?」やっとのことで彼女は聞き返した。「あなた、もしかして一度もそのことについて考えたことがないのではなくて?」
 「そんなことはないさ。でもね、決心がつかなかったんだよ。」彼女の気をそらすために、彼は急いで尋ねた。「で、君はどうなんだい?」
 彼女の夢見るような顔はまさに有頂天の顔だった。
 「私、ナラド=グループに入っているの。ナラドのところには、遠い昔から惑星表面に押しつけられていた大きな鉱石片があるのよ。とても美しい森の谷にあったの。そこにはもう行動体の隠し場所ができているけど。」
 「鉱石片……」彼は考え込むようにつぶやいた。
 「それは単なるとりかかりよ。」彼女は言った。「いまに自分で別なやつを手に入れるわ。」
 「誰かがそれを聞いたら」彼は水をさすように言った。「こう考えるだろうよ、我々の大半は生きるのが嫌になったのだ、とね。でなければ、死んだものを好む君をどう説明するんだい?」
 「単純明快よ。私たちは皆休息と思索のための時間を必要としているの。私たちの疲労も消えるわ。それに知的生命形態を対象とするのはタブーよ。」
 「確かに知的生命形態なんて必要ないさ。」彼は言った。「どのみち私はまだまだ自分で動けるだろうからね。」
 「もし誰かがあなたのそんな話を耳にしたら、こんなふうに思うでしょうね。私たちのミクロコスモスの知識とそれに関する能力を、あなたは何かの呪いとでも考えているんじゃないかって。」
 今の話はそんなに真面目にとらないで、とでも言うように彼女は笑って、腕を引っ張って彼を傾斜路へと連れていった。そして移送フィールドの方角をセットした。彼女の周りにそれがはりめぐらされる間、オソは考えていた。もしかしたら彼女の動機は、疲労と休息欲求から永久に解放されることなのではないか、と。
 移送フィールドは彼女を包みこみ、乳白色の雲とともに消えた。フィールドは彼女をシャナドの居住区域のある建物の広間へと運んだ。もう彼女は一人ではなかった。ほぼ千人の聴衆が演説者のまわりに集まっていた。演説者は聴衆には無関心で、どちらかというと屋根を見つめてひとりごとを言っているように見えた。
 オソとナガは以前から合流式には参加しようと話してはいたが、今二人はそこでは本当に招かざる客であり、オソは承諾してしまった自分に腹を立てていた。
 まだ彼には個人的に片付けたいことが山ほどあったのだ。
 まず、彼は自分の部屋を最高に「片付いた」と言えるような状態にしておきたかった。留守中に誰かがそこに侵入して、住人のきれい好きがうかがえる物という観点で調査が行われるのを、まるで彼が気にしていたように。
 もうここには誰もいなくなるだろう。
 シャナド全部にも。
 しかし、きちんとした宿をあとに残していけば、いつの日かここへ戻ってきた者にとって、心安らぐものとなることだろう。
 突然恐ろしいほどの荒涼感を伴った重圧に襲われ、オソはふとこんなことを思った。……我々は二度と戻らないかもしれない。
 そう思うと彼は体全体が震えだすのを止めることができなかった。ナガはずっと彼の腕をつかんでいたので、心配そうに尋ねた。「あなた、どうしたの?」
 「なんでもない。」朦朧として、彼はかすれた声で答えた。「本当になんでもないよ。」
 彼の幻想は薄らぎ、彼は演説者の方を見やった。演説者は彼の知っている男だったが、名前までは思い出せなかった。
 彼はその男の言葉に耳を傾けたが、言っている意味は分からなかった。意味のない無駄話をしているように彼には思えた。自分のすぐまわりにいる人々から受けるこんな疎外感も、彼には目新しい経験ではなかった。五惑星施設の建設が終わって以来、彼は経験し続けてきたのだ。
 全力をふりしぼって、彼は演説者の言葉に心を集中させた。
 「行動体を使えば、私たちはその時その時の合体をどのくらい持続させるかを自分で決めることができる。そして、それぞれがひとつの経験となる。我々種族全体の集合的行為でなく、一個人の経験に。」
 違う!クリュンヴァント=オソ=メグは頭を撃たれたような思いがした。
 そして彼はホールに響き渡るような大声で叫んだ。「我々は皆クラートに残っているべきだったんだ!」
 叫ぶと同時に彼は自分の暴走ぶりにびっくりしたが、すぐに彼はどんな反応が起きたのかを愉快に眺めていた。全員が彼のほうを振り向き、演説者は声を張り上げてオソに向いてしまった聴衆の関心を取り戻そうとしたが、結局黙りこんで他の者と同じように水利権責任者を見つめた。
 オソは何かしゃべる必要があると感じた。
 しかしナガが先手をとった。
 「どうかお聞きにならないで」困ったような声で彼女は言った。「ちょっと神経質になっているんです。」
 「いや、違うんだ!」オソは再び叫んだ。「我々がクラートに残ったとして、それで何か起こったはずだとでも言うのか?コスモクラートたちだって我々を追い出したりはしないだろうから、我々はとどまって何が起こるか待ち通すことはできたはずだ。」
 「クラートを去ることは私たちの総意だったはずだ。」演説者は言った。
 オソは移送フィールドの方を見やった。彼はフィールドの方角をセットして、一刻も早くここから姿を消したいという願望しか持たなくなっていた。一番近いフィールドまではしかし20歩分の距離はあり、彼の誇りも皆の前から逃げ出してしまうことを許さなかった。
 「私たちはクラートを去った。」演説者は続けた。「コスモクラートから受けた最後の任務、フロストルービンの係留を終えた後で。すでに当時私たちは、再びそのような重荷を引き受けることのできる状態を維持できないと知っていた。私たちの数も減少し続けた。私は、新たな力である行動体が私たちの人口の維持にも役立つと考えている。」
 オソは、演説者がすでに話を続けることができるようになっているのに気がついた。聴衆は水利権責任者への関心を失い、合流式にまた熱中していた。ナガもまた、心を集中しているようだった。
 オソは急いで辺りを見回した。
 きっと何人かは、またこの問題に話を戻せないかと思案している、賭けてもいい、と彼は思った。
 彼自身はそんな仲間にはむろん属さない。彼は大多数の利益と呼ばれることをするつもりである。
 彼はナガに気づかれないように静かに彼女から離れた。そして一番近い移送フィールドにたどりつくと、居住区にセットしてホールから立ち去っていった。
 居住区には柔らかな風が吹いていて、オソにはそれが心地好かった。シャナドは隠れ家である五世界の最も内側に位置していたが、気象条件は人工的に安定させており、そのためユルギル、ツルート、エズィ、リュドンとの違いはなかった。
 たったひとつ、シャナドが他の4つの五惑星施設世界と違う点があった。それは、ここに数人、オソの仲間が住んでいたことである。
 目前に迫った撤去作業の準備などのせいで、オソのやってきた街は荒れ果ててしまったも同然であった。彼は泊まっていた建物の方へと通りを横切った。静けさにすっぽりと包まれた感触。が、彼のたった一歩でそれは壊れてしまう。
 彼は向かい側へ斜めに歩いて、立ち止まった。
 建物の陰からひとつの姿が歩み出た。その背はやや長めの灰青色をした甲殼でおおわれていた。それは4本脚で歩き、脚は短く茎状で、鋭い刻み目のついた関節があり、前の一組が少し長く、それで半分直立したような足どりになっていた。上の方の6本指で鋏のような手をした2本の腕のほぼ中央に、小さくなった体があった。首どころかそれらしきものすら見分けられず、上半身は幅広い口と円形に配置された8つの目を持つ頭部で終わっていた。顔は黄土色の皮膚をしていたが、他はすべて白かった。
 「止まれ!」オソは叫んだ。
 その生物の頭は甲殼の中にひっこんだが、またすぐに外に出てきた。
 ためらいながらも、オソは近づいて行った。
 「とどまっていてはいけないはずだ。」とがめるように彼は言った。「誰だおまえは。」
 「ダルザン=ボロ=ポグ」その生物は小さな皮袋を使って答えた。明らかにその中には発声器官があって、頭の下部と同じリズムで収縮膨脹を繰り返していた。
 「行動体はすべて宇宙船に積み込まれる。」水利権責任者は注意を促した。
 「全てではない。」ボロがまた口をひらいた。「数体は各世界に残る。」
 「それでおまえはシャナド居残り組というわけか。」
 「そうさ。」ボロがうなずいた。
 オソは今まで何度も行動体を観察したことがあった。(トレーニングプログラム中のものばかりだったが)しかし、アンドロイドの一体が動いているのを目前にみるというのは奇妙な感覚だった。というのも、ダルザン=ボロ=ポグがそれまでの生涯をともにしてきた体はもう死んでしまったことを意味するからだ。
 計画そのものはオソの種族全員がもとの体を捨ててしまうことを目標にしているとはいうものの、やはり水利権責任者にとって生きているアンドロイドを見るのはショックだった。
 「その体はどうだ?」クリュンヴァント=オソ=メグは思わず尋ねた。
 「どうかって?ま、すぐに分かることだ。知性も、知識も、感情ももとのまま。あんたはあんたのまま、さ。変わるのは体だけだ。」
 オソは嫌になった。彼にはもう止められないのだ。いつかは一人で動くためにこんな体を利用しなければならなくなる。そんな考えは彼には一種の倒錯に思えた。何かに合体すること自体はまあ、我慢できる。しかしこれは!
 「頭が混乱、といったところかな?」ボロは鋭かった。彼の名前の3番目は彼がエンジニアだったことを示していた。きっと彼はものごとを極めて冷静に見るのだろう。
 「ああ、うむ」オソはうなずいた。「簡単には…慣れるというわけには」
 いや、彼は絶対に慣れたりはしないだろう。
 7万もの行動体がこの数時間で五惑星施設の世界で積み込まれ、宇宙船で球状星団の他の惑星へと運ばれていく。
 そのうちの一体はクリュンヴァント=オソ=メグのものと決定していた。

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