3.その昔 …

 五惑星施設世界との別れは何となく最後の、という雰囲気を漂わせた。責任者たちは皆自分の影響力を駆使して逆の印象を与える努力をしてはいたが。だからクリュンヴァント=オソ=メグの仲間たちの多くも、自分たちは単に短い旅行に出るだけという態度をとった。
 今のところ、この大計画は特に事件もなく実行されていた。行動体は予定された世界に配備され、宇宙船団は改装を終えた。今回はしかし、生きた貨物を球状星団のそれぞれの惑星に運ばなければならない。
 オソはシャナドでの最後の日々を、本当の無感覚状態と呼べる形で過ごした。何かしないと、という圧迫感に彼はその間ずっと悩まされ続けた。しかしこの圧迫が強ければ強いほど、無力さを一層痛感するのだった。
 この原因は彼の心痛と苦難を分かちあえる者が一人もいないことにあった。
 この計画は全員に認められ、許可された。
 皆とこうも考え方が違うというのは、自分が少し頭がおかしいからではないのか。よくオソは自問した。もっとも彼は、法則によれば自分の精神障害に思い至る者は精神的に健康なのだと心得てはいた。
 とうに彼はこの計画は馬鹿げたものだと思っていた。
 個人は自分の人生の中で、立ち止まり振り返り、全てがこれからどうなっていくのかを考えることもできる。引退して、人生の疑問に対して今まで見出だしてきた答えがどんなものだったのか考え直すこともできる。
 オソはそれは当然だと思う。
 しかし種族全体は?
 それはちょうど、種族全体が突然呼吸を止めて、発展に関する疑問の解答が全て見つかった時また呼吸をしようと決めたようなものだ。
 そんな種族は、戦慄を覚えながらも水利権責任者は思った、窒息してしまうだろう、と。
 クリュンヴァント=オソ=メグは宿で自分の身の回りのものをいくつか、今度の旅に持っていくようにまとめていた。オソを含むグループは、球状星団の辺境星域のある惑星に連れて行かれることになっていた。グループは17人。オソは他の16人を知ってはいたが、接触することは避けた。
 ぼんやりと彼はこのところ頻繁になりつつあるクラートへの空想旅行にとりかかっていた。そういった時、クラートへの無意識の思慕の念が大きな役割を果たしていたことは否めない。
 ひょっとすると私はそれほど他の皆と違っているわけではないのかもしれない。ときどき彼はそう思った。計画全体の持つ深い意味が私の目から隠されている可能性も確かにあるわけだ。
 彼は自分の荷物を机の上に投げ出し、宿の中をぐるりと見回した。彼はここが居心地の良いところだとは一度も思わなかった。ここに住もうが他に住もうが、彼には変わりはなかった。
 しかしそんなことももう関係はない。
 彼は落ち着かない様子で部屋の中をふらふらと歩き回り始めた。すると気違いじみた考えが次々に頭に浮かんできた。やがて彼は荷物を掴むと宿を後にした。廊下は不気味に静まり返っていた。きっと皆集合場所へ発ってしまっていて、彼が最後の住人なのだろう。彼は振り返り、泉が全て止まっているのを確かめた上で、自分の姿を映すことのできる蒸気壁面のところに足を向けた。
 今まで彼は自分の体をそれほど重要視していなかった。日々の健康や衛生のための儀式を除いては。
 ふと、彼は立ち止まって自分を観察したい衝動に駆られた。ひとつのビジョンにシンプルな行動体の姿が映った。
 彼は軽くあちらこちらと動き回り、調和のとれたその動きを楽しんだ。自分の体というものが彼にとってどういう意味を持つのか、彼がこれほど考えさせられたことは一度もなかった。
 そして彼はそれを捨てなければならない。
 計画のさらなる実現によって生じる結果のことを考えると、彼は眩暈を感じた。だれも自分の体を持ち続けようとはしないだろう、かつてヴォワレに予言されたように。しかしその意見はあらゆる点において例外と考えられ、だれ一人として省みるものはいなかった。
 オソが合体すると、すぐ彼の体は失われてしまう。
 体は分解し、そして彼には自由に処分できる行動体だけが残される。
 「気違いじみている!」彼はつぶやいた。
 彼は熱くなって、文字通り逃げるように表へ出た。かつては彼を待っていた完璧な環境、彼にとって印象深いそれももはや無い。しかしそれでも彼には目的地の惑星よりもシャナドの方がいいと思った。
 ロボットの一団がガラガラと音を立てて過ぎていった。オソはそれを興味深く見守った。ロボットたちはもう、シャナドの施設を収納し始めていた。破壊不能なヤプステュルでできたごく薄い層の下に埋めてしまうのである。
 オソは手近な司令フィールドに足を運ぶと、ロボットたちを呼び寄せた。ロボットたちはプログラムされた仕事から離されたことにいら立ち、神経質になっているように見えた。
 「これはここに残しておいてもらいたい。」彼はそう要求した。
 ロボットたちはブーンと高く唸った。
 「この建物は」オソは続けた。「収納しないことにする。崩壊するままにしておきたい。」
 「それは中央の総括命令に違反します。」ロボットは説明した。「個別命令が総括命令と矛盾するケースは希ですが、この状態はそれに相当します。中央の総括命令は、すべての…」
 「中央の総括命令が何なのかは知っている!」オソは叫んで、ロボットたちを解放した。これ以上何を言っても無駄だと分かったから。
 並木道を振り返ると、もうロボットたちは自分の仕事を再開していた。ヤプステュル製のほとんど目に見えないヴェールが、オソの泊まっていた住宅街の上にすっぽりとかぶさった。
 「私はまだやれる。できるかぎりの事をやるまでだ。」オソは静かにつぶやいた。「疲れてはいない。生きるのに飽きてもいない。」
 もしかするとクラートでならチャンスがあるかもしれない。ひとりで計画から抜けるのであれば。勇気を出してこの不快感に終止符を打たなければ。ひょっとしたら監視団の一員に加われるかも。
 ヴォワレと話したい。彼は心からそう思った。
 しかしヴォワレはツルートにいる。……彼のことを正確に理解する唯一の人物は。
 彼が移送フィールドに着くと、宇宙船に向かうもう二人の乗客と一緒になった。彼らは既にフィールドにプログラムし終えていたが、彼を見つけて親切にも一緒に行けるよう待っていた。
 彼に比べて他の二人はかなりの荷物だった。新しい人生を過ごす中、古い人生の何かをそうやって大事にとっておくつもりらしい。
 うんざりしてオソは考えた。彼らを無視して別の移送フィールドへ行ったほうがいいのではないだろうかと。が、そこで彼にある衝動が生じた。自分の機嫌と彼らとを無関係にするぐらいは彼にもできた。
 何しろあの二人は彼のグループではないから、計画の目標について徹底的に討論できる。これはめったにない機会だ。
 三人が挨拶を交わすと、待っていたほうの二人のうちの一人が自分から話し始めた。
 「ずいぶん遅いのですね。」
 「まだやることが少々あったもので。」オソは軽く受け流した。恥知らずな態度は少し癪に触った。
 二人目が溜め息をついた。
 「やっと、か。」彼は言った。「もうこれ以上は待てないぞ。」
 オソは思わず彼を見つめた。その態度があまりにはっきりしていたので、もう一人が信じられないと言う顔で尋ねた。「この気持ちが分からない、と?」
 「まあね」オソはボソリと言った。
 二人は途方にくれたといった態で彼を見ていた。オソの態度にどう応じていいか分からない様子だった。彼らにとっては計画が全て承認済みなのは当然のことであり、それに反するのは彼らの理解を超えたことなのだ。オソは愉快だった。
 「なのに合体場所へ行く?」一人目のほうが聞いた。
 「まあね」オソは言った。
 「で、今まで重荷となって煩わされてきた全てのものからの解放を、素晴らしいとは思わない…?」
 カッとなって水利権責任者は答えた。「はっきり言おう。私はこの重荷とやらで十分満足している。」
 彼らは先ずこの事実を消化しなければならないだろう!彼にはそれで十分だった。
 彼はもうそれ以上二人のことは気にせず、移送フィールドに包まれるのを待った。空を見上げると、太陽がちょうど通りの端の高いビルの間に赤い円板となって見えていた。風はそよとも吹かなかった。惑星上の全ての自然、惑星自身、そして五惑星施設世界が、さらには大きな球状星団全体が、まるでその場所で全て固まってしまったかのように。
 この種の平穏は危険だ。オソは思った。彼らが初めてこの地に立った頃は、むしろ抑圧しておくほうが難しく、あらゆる方向へと伸びていったものだった。
 死の平穏!オソはそう思った。
 移送フィールドは彼らを包み込むと宇宙港へと運んだ。
 オソは前にも数多くの船が並んだ光景は何度か見たことがあったが、これほど大勢の人々が乗って飛んでいくのを見るのは久し振りだった。移送フィールドが解除された瞬間に彼が出会ったこの光景は、彼にとって全く思いもよらぬものだった。
 彼の前に宇宙空間がある。
 港は合成素材を存分に使った人工の平地で、今日まで推進機関の熱流、船の大重量にひっかき傷程度で済んできたほど堅固にできていた。船はまるでチェス盤の上の駒のようにずらりと規則正しく長い列をなしており、ここで何か計画外のことが起こるおそれは全く無かった。
 この船団は惑星上の乗客をすべて球状星団へ運び終わるとすぐ五惑星施設へと戻る。呼べばまたその移住者を運びにやってくる。
 オソと船の間には大勢の移住者が順番を待っていた。
 水利権責任者は思った。皆がここにいる以上、シャナドは荒れ果てているのだと。彼と同行者二人は最後の到着者だった。
 人々は押し黙り、できるだけ早く船に乗り込みたいという思いをその態度にはっきり表していた。誰も急ごうとはしていないものの、その願望のまなざしは船へと向けられていた。
 まるで熱病だ!クリュンヴァント=オソ=メグは思った。種族全員が陶酔しきっている。
 彼がその状態になっていないのは誰が見ても分っただろう。しかし誰も気にしなかった。彼は自分の荷物をしっかり持つと、自分のグループの待つセクターを捜した。他の16人はとうに着いていたが、それは彼が思っていた通りだった。彼らは無言で挨拶を交わした。彼は皆の後ろに並んだ。そしてあちこちに目をやると、ロボットたちが宇宙港の行政官庁ビルを封印しようとしているのが見えた。
 これが現実なのか!オソは力が抜ける思いだった。
 何があろうと、誰であろうと、これはもう止められないのだ。
 なにしろ、と彼は皮肉っぽく考えた。自分はクラートに端を発する前代未聞のエクソダスに参加してしまったのだから、と。
 人々の頭上にビデオフィールドが映った。オソはふとヴォワレに会えるという希望を抱いたが、すぐに萎んでしまった。ビデオフィールドにはファルガト=ヨツォ=ケルクの顔があった。全五惑星施設の最重要人物である。彼がどこで喋っているのかは分からなかった。もしかすると彼はこの瞬間にシャナドにいるのかもしれなかった。ビデオフィールドは五次元通信によるものではあったが。
 彼の第3の名前は、彼が最高審議会に属することを物語っていた。ケルクの身分にある一握りの人々は五惑星施設に留まる。ヨツォがそうするかどうかはオソは知らなかったが。
 今のところオソが知っている五惑星施設駐留の仲間は一人だけだった。ユルギルにいるトゥルギュル=ダノ=ケルクである。
 そして、もちろんヴォワレ!
 もっとも彼女はあらゆる点で例外だったが。
 「我々はいま、計画の最終段階に入った。」ヨツォの声がクリュンヴァント=オソ=メグの頭に割り込んできた。「ここに並んだ宇宙船団は我々を所定の惑星へと運んでいく。そこには行動体がしかるべき場所に既に隠し置いてある。全員が合体できるくらいの数は十分にある。」
 話し手はこの周知の事実が聴衆に徹底しなければならぬとでも言いたげにしばらく間をとった。
 「遠い昔、クラートを去ってこの球状星団を隠れ場所とすべくやってきたとき、我々の行く末はもはやはっきりしていた。」ファルガト=ヨツォ=ケルクは続けた。「しかし、五惑星施設の建造と隠れ家の障壁網の設置には長い年月を費やした。これで外からの侵入者が我々の平穏を妨げることはまずないだろう。」
 私たちは呼吸を止めている!オソは思った。そして、そうであるがゆえに他の存在の息が私たちをかすめることもない。
 「コスモクラートの仕事をしていた最後の数年間、我々は考え込まざるを得なかった。」ヨツォは言った。「フロストルービンの係留という大きな成果は成し遂げた。しかし当時からすでに種族がある状態に達していたことは明らかだった。すなわち、徹底した処置をとらないかぎり没落への道をたどるということ。人口は着実に減少していた。我々は自然の進化発展の袋小路にいた。が、我々の知識は一定の水準、つまり没落を止めて袋小路から抜けることのできる水準にまで達していた。中でもミクロコスモスに関する知識は計画の進行に大きな助けとなった。
 オソはみな知っていた。――彼は結局その進行と共に生きてきたのだ。
 ルルドヴァン=ゲロ=ラツの“表面張力”に関する理論がまた彼の頭に浮かんだ。「体」至上主義から脱する方向の全ての発展の過程において、ゲロの言葉によれば“表面張力”が問題になってくるという。
 体を捨てて精神的な生命形態になるということはまた、通常時空連続体の境界を破壊することでもあった。しかし全ての次元にはそれぞれ固有の慣性、すなわち“表面張力”があって、それを貫くのは容易なことではなかった。
 オソの種族は進化の過程の所定の跳躍に対しては十分成熟していたが、“表面張力”に打ち勝つ能力はなかった。
 だから彼らは可能性がないと分かると、行き詰まっている自然進化にある刺激を与えようと計画したのだ。
 知識人のほとんどと、とりわけケルクの身分にある者たちがゲロの理論を信じていることはオソには分かっていた。だからこそ、計画は最初にその理論によって確認されたのだ。
 「我々は体を捨てることにより」ファルガト=ヨツォ=ケルクがまさにその話をしていた。「相対的不死となる。我々が合体した物体は我々がコントロールできる。その物体の存続期間は、適当と思える期間になるよう配慮できる。移動や交換の必要に対しては、既に準備の完了した全行動体が使用可能となっている。私は確信する。我々が時の流れの中で“表面張力”を避ける、もしくは打ち勝つ方法をこれで手に入れたということを。次の一歩を踏み出すにはこの道しかない。我々は純粋な精神生命体となり、その集合体は超知性体を形成するだろう。それが我々のとるべき道だ。」
 オソはしぶしぶ考え直した。
 この体に留まって死んだのでは何の解決にもならないだろう。
 ヨツォは挨拶を終え、スクリーンは消えた。
 オソの周りで移住者が動き始めた。水利権責任者は自分のグループの者にぶつかられ、押されているのに気がついた。みな彼のぼんやりした態度にユーモラスで思いやりをこめた注意を浴びせていったのだ。
 オソはついていくことにした。
 聴衆は解散し、宇宙船へ向かい始めた。
 「私たちはいったいどこへ行くのかね。」オソは同じ高さにいる自分のグループの一人を見つけてそちらに顔を向けた。
 相手はじっと彼を見た。
 「冗談だろ?」彼は聞き返した。
 「いや」オソは繰り返した。「真面目な話だ。いったいどこへ行くのかね?」

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