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ペリー・ローダン史 2001〜2002

2001年 1月 アルント・エルマー著「ノンゴの網(Im Netz der Nonggo)」から著者選、新シリーズ「ミニ銀本(kleinen Silberbände)」がスタート。
2月1日 フランク・ボルシュとミリアム・ホフハインツ(Mirriam Hofheinz)の二名が出版チームの編集とマーケティングの戦力として参加。
2月6日 2059巻「航宙革命(Die Astronautische Revolution)」がオーストリア人、レオ・ルーカスのデビュー巻となった。
3月 JPVからCD-ROM「挿絵集No.1(Risszeichnungs-Collection Nr.1)」が出された。
5月1日 フランク・ボルシュがトラヴェルサン・ミニシリーズの続編「逃走ポイント 幻影星(Fluchtpunkt Schemenstern)」を執筆。
5月 銀本74巻「七者の公会議(Konzil der Sieben)」より「七者の公会議」サイクル開始。
6月8
-10日
ガーヒング(Garching)のペリー・ローダン・コンに数百人が集合。
6月13日 新たにブラジル版が650巻「A Liga dos Sete」から開始。
8月21日 シリーズ40周年を記念してペリー・ローダン・マガジンの特別号が刊行。
8月28日 ヘフト2088巻「遺伝子の死(Gen-Tod)」にてミハイル・ナグラが初めてペリー・ローダンを執筆。
9月 CD-ROM「冒険宇宙II(Abenteuer Universum II)」出版。
9月8日 滝のような雨にも関わらず全ドイツから数百人のファンがラスタット(Rastatt)での「ペリー・ローダン40年」記念祭に集まった。このとき、出版社として初めてファンに門戸を開いた。
10月 青少年文化アーカイブ(Archiv der Jugendkulturen)に「ファーストコンタクト(Erstkontakt)」が登場。これはペリー・ローダン編集部のストーリー&デザインコンクールの優秀応募作品を集めたもの。
11月 ルートヴィヒスブルク・フィルムアカデミー(Filmakademie Ludwigsburg)が、ペリー・ローダン40年の歴史正本をまとめた。
ペリー・ローダン創始者の一人、K.H.シェールの伝記「未来の構築者」が刊行。
11月20日 ペリー・ローダン・ヘフト2100巻ロバート・フェルドホフ「星界の窓(Das Sternenfenster)」刊行、表紙絵とポスターはアルフレッド・ケルスナー。
11月27日 ヘフト2101巻「征服者(Der Konquestor)」をもってアンドレアス・フィンディヒが執筆チームを去った。
1504/5巻合本と1000/1巻合本で、各版の読者コンタクトページがペリー・ローダン史に交替。

これはローダン公式ページの記事の翻訳です。各年号から該当ページにリンクしています。

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