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ペリー・ローダン史 1991〜1995

1991年 3月 ペリー・ローダン惑星小説336巻エルンスト・ヴルチェク「ナックと猫(Der Nakk und die Katze)」の表紙絵をラルフ・フォルツ(Ralph Voltz)が担当。
6月 ペリー・ローダン惑星小説339巻ペーター・テリッド「死のもうひとつの形(Die andere Seite des Todes)」の表紙絵はアルフレッド・ケルスナー(Alfred Kelsner)が担当しなかった。ポッター/アゲントゥア・ヴェガ(Potter/Agentur Vega)に著作権を主張されたため。
7月 ペリー・ローダン惑星小説340巻ペーター・テリッド「ほとんど人間(Beinahe ein Mensch)」の表紙絵をラルフ・フォルツ(Ralph Voltz)が担当。本シリーズでは336巻の後の2作目。
8月13日 ペリー・ローダンシリーズ30周年として、カールスルーエにて第3回ペリー・ローダン・ワールドコン開催。たくさんの記念刊行物が登場。例:1巻〜1549巻の内容を箇条書きにまとめたレキシコン5冊組、新挿絵集「地球の宇宙船(Terranische Raumschiffe)」(22.5cm×28.9cm版)など。当時シリーズに参加していた著者(カール・ヘルベルト・シェールとホルスト・ホフマンを除く)、および画家ジョニー・ブルックが参加。
9月15日 カール・ヘルベルト・シェール病死。ペリー・ローダン・シリーズは祖父を失った。カール・ヘルベルト・シェールの最後のヘフトは1544巻「選抜者のルーレット(Roulette der Auserwählten)」。
11月8日 クルト・ブラントの突然の死。氏はヘフト208巻で降板した後もペリー・ローダンと親密な関係を保ち、1986年と1991年のワールドコンにも参加していた。
1992年 1月17日 ヘフト1588巻「偽の鎖(Die falsche Kette)」をもってマリアンネ・シドウ降板。これによりペリー・ローダン・シリーズは著者グループ唯一の女性を失った。
4月3日 ヘフト1598巻「怒りの日(Der Tag des Zorns)」にてペーター・テリッド2度目の復帰。それまでヘフト1217巻以後執筆していなかった。
4月4日 ギュンター・マルティン・シェルヴォカート(Günter Martin Schelwokat)死去。G.M.シェルヴォカートは1961年以来ペリー・ローダン・シリーズを見守り、ペリー・ローダン書籍発行、校正、著者原稿の処理を担当し、ペリー・ローダン・ヘフトの牽引役かつ監視役としての責任を果たしてきた。ペリー・ローダンおよびアトラン・シリーズへの氏の影響は多大である。氏の仕事はクラウス・N・フリック(Klaus N. Frick)が引き継いだ。
4月21日 ペリー・ローダン・ヘフト1600巻エルンスト・ヴルチェク「星々の消えるとき(Wenn die Sterne erlöschen)」刊行。ジョニー・ブルックはこのヘフトの表紙にカール・ヘルベルト・シェールを描いて偲んだ。このヘフトにはボリス・ボックシュターラー(Boris Bockstahler)の挿絵ポスター「ヒューマニドローム(Humanidrom)」が付録として付けられた。
4月27日 ボリビアでペリー・ローダン・シリーズの球形艦の描かれた郵便切手が発行された。初日スタンプも球形艦の形をしていた。
5月1日 昔のコミックシリーズ「ペリー:我らが宇宙の男(PERRY - Unser Mann in All)」の最初の再版が登場。昔のコミックスの2巻分を収録。出版社はハンスヨアヒム・ベルント出版(Hansjoachim-Bernt-Verlag)。
11月 最初のアトランハードカバー本が登場。ハンス・クナイフェルがライナー・カストールと共同でアトラン時間冒険譚(ATLAN-Zeitabenteuer)の原稿修正と時系列的な再編を行った。表紙絵はラインホルト・リーデル(Reinhold Riedel)、後の巻はリューディガー・W・ヴィック(Rüdiger W. Wick)が担当した。
- ペリー・ローダン・テレフォンカード(6マルク)登場。
- バーテルスマン出版(Bertelsmann Verlag)から新たなペリー・ローダン・ハードカバーが刊行(バーテルスマンのライセンス出版)。
- ハンスヨアヒム・ベルント出版(Hansjoachim-Bernt-Verlag)はこの年、新たなコミックシリーズ「ユートピア・コミック」の第1巻を出版。「偽りのパラダイス(Das Lügenparadis)」はエルンスト・ヴルチェクのショートストーリーをもとにオラフ・シュヴァルツ(Olaf Schwarz)が描いた。このストーリーは記念巻第3号に載ったもので、コミックは再版LKSの1987/88でも発表された。
1993年 1月 第222回(ペリー・ローダン・ヘフト1640巻H.G.エーヴェルス「アルコン進撃(Griff nach Arkon)」)よりロバート・フェルドホフがペリー・ローダン・レポート(PERRY RHODAN-Report)を担当。
3月 VPMに所属するツォルネイ出版(Zsolnay Verlag)がペリー・ローダン・アート編を発行。ツォルネイ版のペリー・ローダンは赤い合板の外箱に、ペリー・ローダン・ハードカバーシリーズの最初の5巻が収められ、最上質の紙に印刷され、名工A.R.ペンク(A.R.Penk)によるブックカバーがついた。
3月/4月 第3版(1993.3.23より)および第5版(1993.4.13より)がペーパーバック版に変更。ヘフト2冊分がまとめられ、14日に1回のペースで刊行されるようになる。同時に第4版が799巻をもって停止。ペーパーバック版は1050/1051(第3版)および550/551(第5版)からそれぞれスタート。
4月20日 1652巻「クィドールの網で(Im Netz des Quidor)」よりペリー・ローダン・シリーズにスーザン・シュワルツ(Susan Schwartz)(ウシ・ツィーチュ(Uschi Zietsch))が参加。
4月 ペリー・ローダン惑星小説361巻クルト・マール「短気なムル(Muru, der Unbezämbare)」よりクラウス・N・フリックがポケットブックの編集を引き継ぎ、結果ドクター・フローリアン・F・マルチン(Dr. Florian F. Matzin)は担当を外れた。
6月27日 短い闘病の後、クルト・マール死去。ペリー・ローダン・シリーズはパイオニアと「当番物理学者」とを失った。氏の最後のヘフトは1661巻「禁断の惑星シャフト(Tabuplanet Shaft)」
7月27日
-8月17日
クルト・マールの突然の死により、クラウス・N・フリックがペリー・ローダン・コンピュータ(PERRY RHODAN Computer)を一時的に引き継ぎ(1666巻から1669巻)、1670巻からはペーター・グリーゼがペリー・ローダン・コンピュータを引き継いだ。
10月/
11月
ペリー・ローダン・ポケットブックの出版社変更。368巻ロバート・フェルドホフ「昏睡の地球(Terra in Trance)」よりヴィルヘルム・ハイネ出版(Wilhelm-Heyne-Verlag)から刊行。
- タウラス・フィルム・ビデオ社(Taurus Film Video GmbH)が、映画「ペリー・ローダン宇宙からのSOS(PERRY RHODAN - SOS aus dem Weltall)」を今一度ビデオカセット化して販売。時間は85分。
1994年 3月22日 1700巻ロバート・フェルドホフ「メビウス(Möbius)」登場。表紙絵はジョニー・ブルックの描いたクルト・マールで故人を偲ぶ。付録:当時現役のペリー・ローダン作家、ジョニー・ブルック、編集長フローリアン・F・マルチンのカラーポスター。この巻よりロバート・フェルドホフはプロット工房(Expose'-Factory)の一員となる。ペリー・ローダン・レポート(PERRY RHODAN-Report)はこの第237回よりペーター・グリーゼ担当となった。
6月4日 ハーベイ・パットン死去。アトラン・シリーズの協力者であり、ローダン・シリーズへの最初でかつ唯一の参加は記念碑となった。
11月 ハイネ出版(Heyne-Verlag)がペリー・ローダン惑星小説の「第4版」を、新たな表紙絵(アルフレッド・ケルスナー(Alfred Kelsner))と新たな前書きと後書きとを添えて開始した。
12月9日 2種類のペリー・ローダンTシャツがお目見え(意匠はペリー・ローダンの顔と「握手シンボル(Shake-Hands-Symbol)」)。ペリー・ローダンのロゴ入り野球帽も。
12月 ハイネ出版(Heyne-Verlag)がペリー・ローダン・ファン・小雑誌を刊行(ハイネ・ミニのシリーズの1つとして)。大きさは4cm×6cm。
539巻をもってブラジル版ペリー・ローダン終了。
1995年 3月1日 ペリー・ローダン・ハードカバー50巻刊行。感謝の印としてファンプロ(FanPro)社のペリー・ローダン・コンピュータゲームのCD-ROMデモ版が付いた。
3月21日 フーバート・ヘンゼル(Hubert Haensel)がペリー・ローダン・シリーズヘフト1752巻「反逆者に生まれて(Als Rebell geboren)」から登場。
4月15日 「7人の議会(Der Konzil der Sieben)」が、「ペリー・ローダン・新コミックアドベンチャー」シリーズ第1巻として刊行。これはハンスヨアヒム・ベルント出版(Hansjoachim Bernt-Verlag)より。絵はマルティン・ペンダー(Martin Pfaender)、文責はアルント・エルマー。
6月 チェコで最初のペリー・ローダンがヴェルカ・ソウテ出版(Verlag Velka Soutez)より刊行。
10月6日 画家ジョニー・ブルックが交通事故で全く突然に死去。ペリー・ローダン・シリーズは、シリーズの素晴らしい顔を作りだすという重要な役割を果たしてきた人を失った。ジョニー・ブルックはペリー・ローダン表紙絵1798巻、アトラン表紙絵850巻、ペリー・ローダン惑星小説218巻、そしてそれらの中の数多くの挿絵を描いた。
11月28日 ヘフト1788巻と1789巻(1995.12.5発売)はジョニー・ブルックが表紙絵を描かない最初のヘフトとなり、代わりの素材が用いられた。
12月15日 スウェン・パペンブロック(Swen Papenbrock)が約12cmのグッキー像を発表。この版は333体限定。
12月 ハンスヨアヒム・ベルント出版(Hansjoahim Bernt-Verlag)からペリー・ローダン再版の第2サイクルが開始。第1サイクルは第1巻から18巻だった(オリジナルコミックス「ペリー:我らが宇宙の男(PERRY - Unser Mann in All)」シリーズの1巻から36巻に相当)。第2サイクルは新たなナンバリングを採用し、明確に異なるロゴ(「ポップアート」)を用いて以前の番号と区別した。「ペリー第2サイクル」の第1巻はオリジナルシリーズ「ペリー:我らが宇宙の男」の37巻と38巻である。

これはローダン公式ページの記事の翻訳です。各年号から該当ページにリンクしています。

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