1966年 | 3月11日 | ペリー・ローダン・シリーズ第2版開始。 | |
9月12日 | カール・ヘルベルト・シェールはかねて企画のペリー・ローダン映画の撮影現場の視察に出かけた。彼のコメント:「ショックでふらふらとスタジオから出てきたよ」 | ||
10月 | ペリー・ローダン・サービスが12点の挿絵を編集した別冊を刊行。厚紙で形は42cm×29cm。(例:スペースジェット(Space Jet)、多段宇宙船《アンドロテスト》(ANDROTEST))、オタマジャクシ(Kaulquappe)など) | ||
- | この年、ペリー・ローダンがフランスでFLEUVE NOIR社から、ベルギーでMARABOUT社からそれぞれ刊行。 | ||
1967年 | 1月14日 | 最初のレキシコンページがヘフト287巻ウィリアム・フォルツ「屈せざる者たちの広間(Die Halle der Unbesiegbaren)」に掲載。レキシコンページはH.G.エーヴェルスが担当した。 | |
2月5日 | クルト・ベルンハルト(Kurt Bernhardt)がカール・ヘルベルト・シェールにアルコン人アトランのための別シリーズを提案。 | ||
6月18日 | ペリー・ローダン・ヘフト300巻カール・ヘルベルト・シェール「モルゲンロート星域に警報(Alarm im Sektor Morgenrot)」刊行。ここより「M87」サイクル開始。 | ||
7月1日 | 最初の読者コンタクトページ(Leserkontaktseite)がヘフト302巻クラーク・ダールトン「失礼、グッキー親子!(Gestatten, Gucky und Sohn!)」に登場。LKS編集者はウィリアム・フォルツ。 | ||
7月29日 | コンラッド・シェパード(Conrad Shepherd/Konrad Schaef)がペリー・ローダン・ヘフト308巻「戦艦《オマソ》絶体絶命(Keine Rettung für Schlachtschiff OMASO)」で登場。 | ||
8月6日 | 最初のコミックス、「ペリー・ローダン絵本(PERRY RHODAN im Bild)」刊行。このコミックスの大部分を描いたクルト・カエサル(Kurt Caesar)は、元の物語草案への準拠を強くうちだしていた。定期的刊行に加え、グッキー物語(コミックス17巻まで)、アトラン歴史冒険譚(ATLAN-Zeitabenteuergeschichte)もあった。コミックスは14日おきの刊行だった。 | ||
8月12日 | 最初の大きなペリー・ローダン大会(PERRY RHODAN0-Con)がフランクフルトで開催(参加者270名、ゲストにカール・ヘルベルト・シェールとウィリアム・フォルツ)。 | ||
8月20日 | ヘフト319巻「幽霊送信機(Der Phantomsender)」をもってコンラッド・シェパード(コンラート・シェーフ)が短いペリー・ローダン・シリーズ共同執筆を終えた。 | ||
10月20日 | 映画「ペリー・ローダン 宇宙からのSOS (PERRY RHODAN-SOS aus dem Weltall)」封切り。 | ||
- | この年、ペリー・ローダン・サービスから絵集の第2シリーズ(イホ・トロト、カラク(Kalak)、ラス・ツバイ(Ras Tschubai)、ウールヴァ兄弟(Woolver-Zwillinge))と、グッキー人形(GUCKY-Plüschfigur)が発売。1967年末にはフレディ・マーティン・シュルツ(Fredy Martin Schulz)がペリー・ローダン・アイテムの販売を引き継ぎ、1968年からはこれも公式ペリー・ローダン・サービスとなった。ビルド誌(BILD)とフンク誌(FUNK)は映画「ペリー・ローダン 宇宙からのSOS」の写真小説(Fotoroman)を20回ものとして連載。またクラーク・ダールトンの映画「宇宙からのSOS」ボケットブック版がメーヴィヒ出版から発行された。 | ||
1968年 | 4月 | 最初のアトラン歴史冒険譚(ATLAN-Zeitabenteuer)がペリー・ローダン惑星小説(52巻「鋼鉄狼の兄弟(Bruder der stählernen Wölfe)」)に登場。 | |
6月18日 | ハンス・クナイフェルがヘフト352巻「死の沈黙の星(Der Planet des tödlichen Schweigens)」で登場。 | ||
6月 | 最初のコミックスシリーズ「ペリー〜我らが宇宙の男(PERRY - Unser Mann im All)」が刊行され、最初のシリーズ「ペリー・ローダン絵本(PERRY RHODAN im Bold)」と交代。このコミックス初巻も他ならぬクルト・カエサルが描いた。これも物語草案に沿っている。 ペリー・ローダン惑星小説を指向した物語がいくつかあった後、コミックス37巻から完全に物語草案準拠に回帰した。最初の36巻のテキスト部分はウィリアム・フォルツとハンス・クナイフェルが担当したが、これはベルント・クリング(Bernt Kling)(1947年生まれ)とディルク・ヘス(Dirk Hess)(1946年生まれ)に引き継がれた。 描き手は37巻からイタリアのスタジオ・ジオリッチ(Studio Giolitti)(「ポップアート絵画」)となった。刊行形式は当初は14日毎だったが、後には一度月刊となり、71巻から再び14日毎となった。アトラン歴史冒険譚はコミックス4巻からUSO冒険(USO-Abenteuern)に交代、以後は完全に消えた。 | ||
- | バロワ出版(Balowa-Verlag)から最後のペリー・ローダン貸本「USOのスペシャリスト(Die Spezialisten der USO)」が刊行された。貸本は計56巻、ヴィドゥキント(Widukind(1巻〜8巻))とバロワ(Balowa)(9巻〜56巻)から出された。 | ||
- | ヘフト330巻に最初のペリー・ローダン・サービス(フレディ・M・シュルツ)のパンフレットがつけられた。掲載されたものとしては、シリーズの登場人物から4種類の人形、新しい挿絵別冊、34cm×48.5cm形式のポスター3種類はペリー・ローダン、アトラン、グッキーがモチーフとなっていた。 | ||
1969年 | 2月2日 | カール・ヘルベルト・シェール「銀河シンジケート(Das galaktische Syndikat)」がアトラン・シリーズ第1巻となり、以後4週に1巻が刊行される。 | |
2月 | ペリー・ローダン・サービスから人形品目5aおよびb(Figurensortimente 5a und b)が提供される。 | ||
4月15日 | ヘフト395巻をもってクルト・マール(クラウス・マーン)が職務上の理由から共同執筆を一時的に停止。 | ||
5月1日 | ペリー・ローダン惑星小説第2版がスタート。 | ||
5月20日 | ペリー・ローダン・ヘフト400巻カール・ヘルベルト・シェール「たそがれの人類(Menschheit im Zwielicht)」刊行。 | ||
6月4日 | ラルフ・フォルツ誕生 | ||
6月/7月 | ペリー・ローダン・サービスがフレディ・M・シュルツからR・フェルナー(R. Fellner)に譲渡される。提供更新により2つのカルテットが加わった。(1)テラナーと異星人、(2)宇宙船(ヘフトシリーズの表紙絵をモチーフとするもの) | ||
- | 合衆国にてACE BOOKSからペリー・ローダン刊行。 | ||
1970年 | 10月 | ペリー・ローダン・サービス(PERRY RHODAN-Service)のカルテット企画第3弾、ローダン・クイズ開催。 | |
11月 | ペリー・ローダン・サービス(PERRY RHODAN-Service)がウォルフガング・ヴェーリッシュ(Wolfgang Wöhlisch)にバトンタッチ。新製品として5種類のサイズのTシャツが登場。 | ||
- | アトランシリーズがこの年から隔週刊となった。 |