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ペリー・ローダン史 1971〜1975

1971年 1月5日

最初のペリー・ローダン・レキシコン登場。

ペリー・ローダン・サービスにて新たに4種類、柔らかいゴム製フィギュア(ペリー・ローダン、アトラン、トロト、グッキー)が登場、製造は有名な「おてんば工房(Hummelwerken)」。その脇には宇宙船の絵の切り抜きが添えられた。また、挿絵特別版シリーズX (Rißzeichnungssonderdruck-Serie X)が開始され、太陽系帝国の切手(ブリー、グッキー、アトラン、ペリー・ローダン)、丸スタンプ「ペリー・ローダン・クラブ」およびペリー・ローダン・宇宙カード(PERRY RHODAN Weltraumkarte)(黒/白)が出された。一方、新しいヘフトホルダーも登場(棒状でヘフト13冊が1つに入る)。

2月 重病のカール・ヘルベルト・シェールに代わり、ウィリアム・フォルツとハンス・クナイフェルが一時的に草案編集とデータリサーチを引き受ける。
4月20日 ペリー・ローダン・シリーズのヘフト500巻カール・ヘルベルト・シェール「虚無より来たる(Sie kamen aus dem Nichts)」刊行。物語の分量は100ページ、挿絵2枚、両開きの表紙絵、カラーポスター(表紙絵がモチーフ)、大量の本文挿画がついた。
6月19日 この日、ペリー・ローダン・シリーズの架空の日付に現実が追いついた。(ヘフト1巻にて、ペリー・ローダンは1971年6月19日に月に降り立った。)
6月29日 ペリー・ローダンがBORN出版によりオランダにて刊行。(1巻から5巻までポケットブック版、6巻からヘフト形式。)
7月8日 エルンスト・ヴルチェクがヘフト509巻「テラニアの盗賊(Die Banditen von Terrania)」にてペリー・ローダン・シリーズに登場。
9月16日 H.G.フランシス(ハンス・ギュンター・フランツィスコフスキー(Hans Günter Franziskowsky))がヘフト518巻「死への突撃(Strumlauf in den Tod)」にてペリー・ローダン・シリーズに登場。(訳注:本名は原文のまま)
11月2日 クルト・マールがヘフト532巻「訓練惑星の妖女(Die Alte von USTRAC)」でカムバック。
11月19日 ペリー・ローダンが日本にて早川書房から刊行。(訳注:「大宇宙を継ぐ者」刊行は7月31日付となっているが…)
11月21日 最初の挿絵集刊行(ペリー・ローダン・シリーズの50点の挿絵)。
1972年 1月 ペリー・ローダン・クラブの中央事務局が最初のペリー・ローダンクラブマガジンを発行。このマガジンは月刊。
3月10日 ペリー・ローダン・シリーズ第3版開始。
8月 ペリー・ローダン・ヘフト570巻エルンスト・ヴルチェク「苦悶の声(Die Stimmen der Qual)」から、ペリー・ローダン・シリーズ最短サイクル、旧ミュータントサイクル(Altmutantenzyklus)開始。(訳注:現在の最短はヘリオートスの保塁サイクル)
- ペリー・ローダン・サービスは1972年から出版社独自の管理となる。1980年代末まで出版社は冊子販売を自身で手がけた。
1973年 5月23日

ペリー・ローダン・ヘフト600巻クルト・マール「見えない境界(Die unsichtbare Grenze)」刊行。

ヘフト78巻H.G.フランシス「チャン兄弟の反乱(Die Revolte des Chanbruders)」よりアトランシリーズ週刊化。

6月 ヘフト88巻エルンスト・ヴルチェク「蜘蛛砂漠にて(In der Spinnenwüste)」より、アトランシリーズ「アトラン独立譚(Atlan-Exklusive)」というタイトルで、地球着陸時点から〈それ〉に細胞活性装置をもらうまでのアトランの体験談となる。
8月 最初のアトランシリーズ記念巻。100巻カール・ヘルベルト・シェール「クリスタルプリンス(Kristallprinz)」刊行。
1974年 7月16日 健康上の理由によりカール・ヘルベルト・シェールは草案工房(Expose'-Factory)の役をウィリアム・フォルツに譲る(ヘフト674巻「ドリーマーの地にて(Im Land der Dreemer)」)。
7月 バイエルンラジオ放送(Bayrischen Rundfunks)で、アトラン作家、コミック原作担当ダーク・ヘス(Dirk Hess)、当時の出版社の編集者ルッツ・クロフスキ(Lutz Kurowski)と何人かのファンがゲストとなった。放送のタイトルは「ペリー・ローダン〜未来への帰還(PERRY RHODAN - zurück in die Zukunft)」
- この年、英国にてFUTURA出版よりペリー・ローダン開始。
- ペリー・ローダン映画「宇宙からのSOS(SOS aus dem Weltall)」がマーケティングフィルム社(Firma Marketing Film)からスーパー8で発売(1トレーラー(Trailer)と4部(Teile))
- ペリー・ローダン・サービスにて、エウロパ社(Firma EUROPA)が音声ドラマ(Hörspiele)をLPとカセットテープで販売。「人形の侵略(Invasion der Puppen)」(ポケットブック9巻、ウィリアム・フォルツ)、「死の惑星(Planet des Todes)」(ポケットブック53巻、ハンス・クナイフェル)、「テラニアの反乱(Aufruhr in Terrrania)」(ポケットブック51巻、ハンス・クナイフェル)。背景はペリー・ローダン惑星小説による。ドラマの脚色担当はH.G.フランシス。
1975年 2月9日 第1回ペリー・ローダン・コンピュータ(PERRY RHODAN-Computer)が700巻記念ヘフト、クルト・マール「アフィリー(Aphilie)」よりスタート。シリーズは転換点を迎えた。
5月26日 最初のペリー・ローダン年鑑(PERRY RHODAN Jahrbuch)刊行。
6月17日 ペリー・ローダンがフィンランドにてKUSTANUUS OY社により開始。
10月22日

ペリー・ローダンがブラジルにてEDICOES DE OURO社により開始。

ペリー・ローダン・クラブマガジン(PERRY RHODAN-Clubmagazin)が終わり、ペリー・ローダン・レポート(PERRY RHODAN-Report)に交代。

12月 ヘフト747巻「グロゾホトの精神体(Die Körperlosen von Grosocht)」が刊行された。これはハーベイ・パットン(Harvey Patton)(ハンス・ペシュケ(Hans Peschke))のペリー・ローダン・シリーズ中で唯一のヘフト。
- この年、コミックシリーズ「ペリー我らが宇宙の男(PERRY - Unser Mann im All)」がフランスでライセンス出版(このコミックシリーズの22巻分は1976年より刊行)。

これはローダン公式ページの記事の翻訳です。各年号から該当ページにリンクしています。

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